千本鳥居をくぐりたくて、お稲荷さんへ。

若き日に、京都高島屋の宣伝部へ週の三日通っていた時代がありました。大阪うめだ阪急を退社後、フリーになり、その週の半分は、大阪市内のデザイン事務所へ通っていました。京都と大阪を行き来して、コピーライターの仕事を1週間たっぷりしていた頃です。
年頃になり、やがて、身を固めるため、京都の高島屋さんの仕事も壽退社となり、送別会で私は、京都高島屋さんの宣伝の仕事仲間等に餞別の宴を、京都・先斗町、鴨川沿いにある「山とみ」さんで祝ってもらいました。


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二次会には、祇園の芸妓はんが営んでいる暖簾茶屋へ繰り出すなど。もうそりゃ、飲んで騒いで遊んで呆けてました。その宵は、同じ部署で働いていた女友だちが伏見に住んでいたので、彼女の家に泊めてもらって、翌日は、予てから行きたかった、寺田屋へ。龍馬が愛した伏見の街並みを、お龍はんの気持ちで女友だちと闊歩しました。それ以来、自分の中での伏見の街は、愛しさ溢れる独身時代の想い出がいっぱい眠る秘密の場所なのです。


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そんな伏見で、まだ行ったことがない大事な場所がありました。東山三十六峰の最南端に位置する霊峰“伏見稲荷大社”です。この稲荷山の全体が聖域であり、朱塗りの鳥居が建ち並ぶ荘厳な山です。運よく、先月、ふっと時間がとれてそのお稲荷さんへ初めて参詣することができました。





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c0202832_315464.jpgずっと憧れていたのは、山の中腹にある千本鳥居です。この鳥居、右と左、行き帰りが違う道をくぐりぬけるようになっています。もし、恋人同志で来たら、両方別々に分かれて左右の道をくぐり、同時にムコウ側の出口へ出たら、その恋は実るとか(笑)昔、そんなことを聞いたことがあります。足並みをそろえるということなのでしょうか。若い頃、それをしたかったなと今更ながら悔やみつつ、でも、この朱塗りの千本鳥居をくぐるのは、今でも心トキメキました。


c0202832_3163562.jpg本殿には、おきまりの、お狐さんが控えています。お札や願掛けの絵馬も狐の顔だったり、朱塗りのミニ鳥居だったりと、今では、お社も商売繁盛のメッカだけあって、沢山の御守りや願掛けグッズが社務所に並んでいました。

千本鳥居のこと、ちょっと、調べてみたら、元来、稲荷の鳥居は社殿と同じく「稲荷塗」といわれ、朱をもって彩色するのが慣習となっているとか。この「あけ」という言葉は、赤・明・茜など、すべてに明るい希望の気持ちをその語感にもち、その色は、生命・大地・生産の力をもって、稲荷大神の“みたま”の働きとする強烈な信仰が宿っているそうです。


c0202832_319192.jpgこの日は、昼過ぎから伏見へ行ったので、ゆっくり稲荷山を登る時間がなく、千本鳥居を抜けたあたりでUターンしました。ちょうど、猛暑の夏本番で、ゲリラ豪雨も多く、ものすごい夕立に遭いました。お目当ての千本鳥居を抜けて上へ行く時間もないため、引っ返していたら、突然俄かに空が暗くなり、雷が鳴り、どしゃ降りが小一時間程続きました。


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社務所で雨宿りをしつつ、濡れて洗われる朱塗りの本殿や鳥居を眺めては、人間もこういう風に、瀧に打たれるくらい天からの雨に身を曝け出したら、浄化されるかもなんて、不謹慎なことを想っていました。でも、時折、轟く稲妻の閃光と雷さまの爆音には、身がすくむ想いで正直怖かったです。身を清めるために、瀧に打たれるのには、本格的に修行僧にならないとできないことかもしれません。


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雨で洗われた伏見稲荷を後にして、振り返ってみたら、着た時には感じなかったおいなりさんの御加護を、そよ吹く風に感じた気がしました。いつも想うのですが、神社へ詣でたら、行よりも帰りが、身が軽くなった気がします。十分ご縁がありますようにと、15円のお賽銭をはずんで(笑)拝んだお頼みは、いつ叶うのでしょうかね。


c0202832_321384.jpgそうそう、丸い石を持ち上げて、軽いか重いか、どう感じたかで、願が叶う『おもかる石』も、向かって右側の石でチャレンジしたのですが、ううう・・・想っていた以上に、重かったです。後は、御守りに願いを託すしか手立てはないようです。どうか、お狐さま、うちの願い叶えておくれやす。
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by clematis-myu | 2013-08-21 03:08 | Memory